デジタル地方創生記『くじラボ!』

    【第10回】 マシュマロ一筋60有余年 株式会社エイワが歩んだ激動の年月 東京都世田谷区経堂・長野県安曇野市

    公開日:2020年2月17日

    【第10回】 マシュマロ一筋60有余年 株式会社エイワが歩んだ激動の年月 東京都世田谷区経堂・長野県安曇野市

    くじらキャピタル代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

    今回は、マシュマロ製造の国内最大手である株式会社エイワの小髙(こだか)愛二郎 代表取締役会長兼CEOと、同社東京本部マーケティング担当の小川千文主任にお話を伺いました。近年再燃するBBQ・キャンプブームにおいて、キャンプファイアでマシュマロを焼くいわゆる「焼きマシュマロ」が定番となりつつあります。その「焼きマシュマロ」を日本に流行させた仕掛け人こそ、エイワの小髙社長とのこと、マシュマロに60年以上の年月を注ぎ続けた裏に一体どのようなストーリーがあったのでしょうか。

    「天使の食べ物」

    竹内: 今や押しも押されもせぬ国内最大手マシュマロメーカーであるエイワ様ですが、マシュマロというお菓子に目を付けられた先見性が気になります。創業の沿革を教えて頂けますか?

    小髙会長

    そもそも家業として飲食店を営んでいました。それが昭和25-26年(1950-1951年)頃、まだ戦後間のない頃にひょんなご縁で、森永製菓さんの下請けで当時幡ヶ谷にあったマシュマロメーカーの「永和食品工業」という会社に資本参加し、事業を引き継いだのがスタートです。

    竹内: 昭和20年代だとマシュマロは日本人にはまだ馴染みの薄いお菓子だったように思いますが、母体となった会社がマシュマロ製造を始めたのはどういう経緯だったのでしょうか?

    小髙会長

    元々日本におけるマシュマロ製造は、森永製菓さんが明治期にアメリカから製法を持ち帰ったのがスタートと言われています。森永製菓さんのシンボルとして有名な「エンゼルマーク」がありまよね?森永製菓さんのホームページにも書かれているのですが、あの「エンゼル」は実はマシュマロの意味で、マシュマロが当時「エンゼルフード」と呼ばれていたのが由来と言われています。

    株式会社エイワ 代表取締役会長兼CEO 小髙(こだか)愛二郎さん

    株式会社エイワ 代表取締役会長兼CEO 小髙(こだか)愛二郎さん

    竹内: そうだったんですね!

    小髙会長

    実際、森永製菓さんのマシュマロを使ったお菓子は、「エンゼルパイ」のように「エンゼル」という名前がついています。永和食品工業も、恐らく最初は森永製菓さんの依頼を受けてマシュマロを作るようになったのだと思いますが、その森永製菓さんがマシュマロの販売から撤退し、お菓子についてはキャラメルに専念するようになりました。結果その会社の経営が苦しくなり、ご縁があってうちがそこに資本参加したという経緯です。

    竹内: その後はどのように成長していったのでしょうか?

    小髙会長

    大きなターニングポイントになったのは、1962年に幡ヶ谷にあった工場を府中に移転し、量産化のためにアメリカ製の機械を入れたことでしょうか。家庭内手工業を脱し、自動化ラインでの連続式生産が可能になったことで流通菓子メーカーの市場に参入することができました。また、それまで手掛けていたインスタントジュースの製造も止め、府中ではマシュマロ一本に絞りました。

    とは言え普通のマシュマロではなかなか売上が伸びなかったので、「アンパンがあるんだから、マシュマロの中にあんこを入れたっていいじゃないか」ということであんこ入りのマシュマロ「雪あん」(後の「雪わらべ」)を作ったらこれが大ヒット。流通菓子として、エイワ初のヒット商品となりました。

    あんこ入りマシュマロの連続式生産に成功したことで、色々なフルーツ系のジャムやチョコレートを入れることにもチャレンジし、お菓子としての完成度を少しずつ上げていきました。競合他社は全部プレーンタイプだったので、これが当社の強みになったのです。

    竹内: マシュマロの中にあんこやゼリーを入れるのは技術的に難しいのでしょうか?

    小髙会長

    手作りではできますけど、工業的に量産するとなると、当時の発想や技術ではそう簡単にいかなかったと思います。

    当時から当社は開発に力を入れており、製法特許なども持っています。古くから業界にいる社長さんなどにも「エイワさんは規模の割に開発部隊がしっかりしているね」とよく言われたものです。当時、年商5億円、10億円のお菓子屋さんはほとんどが家業で、家業なので社長であるお父さんが技術者でもある訳です。一方でうちは経営者として入っていったので技術者でもなんでもない。そうなると、当然その技術のためにあちこちから技術者を引っ張ってきて、マシュマロ専業なのでマシュマロに特化して技術開発させる他ない。当時から専任の技術者を2人、3人と置いていましたが、そんな会社は普通ないよとよく言われたものです。

    選び抜いた穂高の地に新工場建設

    竹内: 順調に業容が拡大してくると、その府中工場も手狭になり、後に長野県安曇野市穂高に新しい工場を建てられました。

    株式会社エイワ小髙会長と対談するくじらキャピタル竹内代表
    小髙会長

    府中工場は手狭である以上に、古くて衛生面に課題がありました。建て替えで対応できないのかと随分建築士と相談をしたのですが、操業しながらの建て替えは、どうにもならない。諦めて新工場建設に舵を切りましたが、ここからは隠密行動です。工場移転となれば、当然ながら現場の社員は不安になりますから。

    10か所以上候補地を見ましたが、最終的には長野県安曇野市の穂高に決めました。

    ポイントになったのは、過去の災害データです。上野の国立科学博物館に行き、過去の地震や災害のデータを全部調べました。そうすると、過去大きな災害がほとんどないのが北海道の紋別や小樽の界隈と、後は島根県の出雲大社があるあたり。その当時はまだ東日本大震災規模の災害は想定していませんでしたが、当時の考えでいうと震源地から50キロ離れていれば被害があっても致命傷にはならないということで、大地震の震源地を調べてその周辺地域を消去していくと、長野県の安曇野あたりが浮かび上がってくるのです。

    さてどうしようかと思案していると、たまたま知人が安曇野に住んでいたので相談しました。「小髙さん、もしあなた長野県への進出を本気で考えているのならば俺、町長を紹介するよ」と実際に町長を紹介して頂き、そこからはとんとん拍子でした。

    竹内: ご自身やご一族にゆかりのある土地ではなかったのですね。

    小髙会長

    全くないです。

    今でもそうですがあの頃も関東大震災の可能性が語られていて、もし大震災で関東の全ての機能が停止した時にはどうするのかと考えると、長野であれば名古屋にも出られるし、東海地区がダメになったら北陸や大阪にも出られるという狙いがありました。もう1つは、当時の物流は関東や中京の大都市圏から地方に送る荷物が圧倒的に多かったんです。その分、その方向の運送費は高い。逆に新潟や福島から都心に送る運送費はトラックの荷台がカラなので、聞くと半値くらい。長野であれば運送費が下がるだろうという見込みもありました。

    1990年12月に工場が竣工し、翌1991年6月に全面操業を開始しました。

    竹内: 穂高の地に溶け込むために、地元の人を招いて工場で「エイワ祭」というお祭りを開催するなどの取り組みが社史に書かれていますね。穂高の新工場の立ち上げは順調だったのですか?

    小髙会長

    いえ、それはもう、大変苦しみました。一番大変だったのは、新しい製造ラインを理論上正しく組んでも府中工場と同じものができなかったことです。あの手この手で対応しても、どうしてもできない。2年か3年は苦しんだと思います。よく乗り切ったと思いますね。

    竹内: それはどういう理由だったのでしょうか?

    小髙会長

    結局、自分たちも知らぬところに思わぬノウハウがいっぱいあったということです。パイプの長さだとか太さだとか、圧のかけ方とか、機械の使い方とか本当に細かい部分です。

    マシュマロは、生産理論が未だに確立されてないんです。実はチョコレートもそうなのですが、製造者は経験上こう作るとこう出来上がることを知っているだけで、何でそうなるのか理論上未だによく分かってないのです。

    竹内: 理論が確立されてないとすると実践しながら再現性を体得する他ないので、誰かがマシュマロ生産に参入しようとしても難しそうですね。

    小髙会長

    と思いますね。量産しようとしても一定の規模で止まってしまうと思います。また作れない以上に、売り切れない。当社は製造ノウハウもありますけど、売っていくノウハウもあります。売り方が独特なんですよ。

    日本の菓子市場は飽和状態にあり、売上を伸ばすには他の菓子メーカーから売り場を奪うしかない。従って、新商品を出すにしても売るにしても、売り場を奪うというやり方になりますが、マシュマロに関してはライバルのメーカーがいないので当社はそういう商品の出し方はしません。

    我々は棚を取るのではなく、常に新しい市場、消費者を開拓しながら売っていきます。新しい食習慣や食べ方を提案しながら、消費者とコミュニケーションを取りながら商品を売っていくのです。商品を作り出しながらコツコツと年3%とか5%ずつ成長させていく売り方が、我々の販売ノウハウですね。

    時折、他のメーカーが我々の「棚」を取りに来ることはありますが、一瞬取れたとしても長続きしない。新規の設備投資で真っ赤っかになり、「こりゃダメだ」とやめていきます。

    株式会社エイワ小髙会長とくじらキャピタル竹内代表

    「焼きマシュマロ」の仕掛け人

    竹内: 昨今のキャンプブームで、日本でもマシュマロを焼いて食べる人が増えていますが、個人の感覚では少なくとも10数年前までは日本になかった食べ方だと思います。そのプラスの影響はありますか?

    小髙会長

    あれは全部うちが仕掛けていますから。

    竹内: え!そうなんですか!

    小髙会長

    ほぼほぼ100%、うちが仕掛けています。もう30年前からやっています。

    毎年、春休み終わりからゴールデンウイーク、6月くらいまでの週末は関東中のキャンプ場を歩きましたもん。そこでキャンプやバーベキューしている人たち全員にマシュマロを配って歩きました。焼いてくれ、焼いてくれって。

    広告出すとお金がかかるので、アウトドアやバーベキューのイベントがあれば協賛して、「新しい食べ方の提案は、アウトドアのバーベキュー。これに絞れ!」と指示して徹底的にやりました。その蓄積が今のブームにつながっていると自負しています。

    もう1つの提案は、プレーンヨーグルト。無糖タイプのヨーグルトにマシュマロを入れる食べ方も20年、提案しています。昔は市販のプレーンヨーグルトに砂糖が付いていたのを覚えていますか?プラスティックの蓋の下、シールの上にぺたっと貼り付けてあって。

    竹内: プレーンヨーグルトの酸味が苦手な人のため、砂糖を足して甘くするためですね。

    小川主任

    プレーンヨーグルトにマシュマロを入れると砂糖を足さなくても食べやすくなります。また、ヨーグルトの水分がマシュマロにうつりぷるんとした食感が味わえます。ヨーグルトは毎日食べる習慣がある人もいるので、そういう生活場面に新たなバリエーションや食感を提案しようと、20年前から行っています。

    ヨーグルトと一緒に食べたり、トーストに乗せたりと新しい食べ方の提案している

    ヨーグルトと一緒に食べたり、トーストに乗せたりと新しい食べ方の提案している

    他にも、ココアやコーヒーに入れるのはもちろん、豆乳や青汁に入れて味をマイルドにする提案もしています。2013年頃、マックス・ブレナーというイスラエル発祥のチョコレート・チェーンが日本に上陸した時、そのお店の名物だったチョコレートと焼きマシュマロのピザが話題になったことがありました。その頃から、マシュマロが駄菓子からちょっとお洒落なスイーツと認識されるようになってきたと感じています。

    ソーシャル対応と「ビーガン向けマシュマロ」の夢

    竹内: マシュマロは見た目がかわいく、愛されやすい食材なので、SNSとの相性が良さそうですね。

    小髙会長

    SNSをチェックしていたら、3年程前、名古屋大学のとある教授が「マシュマロは喉にいい」というツイートがありました。マシュマロはゼラチンと糖類が豊富なので喉にいいのだ」と。それなりに話題になっていたので、「そうか!のど飴があるんだから喉マシュマロを作ろう!」と思い立ち、1年半かけて試作して2018年からテスト販売をしています。

    和テイストやコラーゲン入りなど多種多様な商品が展開されている

    和テイストやコラーゲン入りなど多種多様な商品が展開されている

    竹内: 我々の業界では「ソーシャルリスニング」と言うのですが、SNSの書き込みをチェックして、そこから実際に商品開発までつなげるのは凄いですね!非常に先進的だと思います。

    最後に今後の夢や目標をお聞かせ頂けますか?

    小髙会長

    ことマシュマロだけで言うと、原材料に豚のゼラチンを使っており、宗教的にマーケットが制限されてしまいます。そうなると今後経済発展が著しい東南アジアのイスラム系の方々はターゲット外になってしまうので、その為の商品を作っていく必要があると考えています。まだ調査中ですが、日本や中国の工場で作るのも難しそうなので、イスラム教徒向けの商品はイスラム教徒のいるマレーシアあたりで製造するかも知れません。

    将来的にはアメリカにも製造拠点を持ち、北南米やヨーロッパ、アフリカに輸出できたらいいと思っています。

    竹内: 豚由来でない原料でゼラチンを作ることもできるのですか?

    小髙会長

    できます。牛由来のゼラチン、魚由来のものもあります。牛由来の材料であればもういつでも作れるのですが、それだけでは面白くないので他の材料も考えるようにと指示しています。ハラル対応の印象も含めて、できれば100%植物系でできるといいと思います。

    竹内: ビーガン対応のマシュマロがあれば夢が広がりますね。

    小髙会長

    もっと大きな問題意識でいうと、今後10年、15年もすると、世界中で食糧危機が顕在化するはずです。人口が増えて、その為の食糧増産で南米のアマゾンが開発されて、地球上の気候がどんどん変わっていく。温暖化というけれども、確かにCO2の問題もあるでしょうが、農地開発が地球の気候変動に大きな影響を及ぼしているのも事実です。いずれにしても、地球上の農産物の生産量が劇的に増えない限り間違いなく食糧危機に陥ることは、農水省や大手総合商社の出しているレポートを見ても明らかです。

    その中で我々に何ができるのかというと、手っ取り早いのは地産地消、日本の農産物を増やしていくこと。マシュマロの原料は、空気以外全部輸入品なんです。砂糖、水あめ、香料、全部海外から入ってきているので、食糧危機になれば何も輸入できなくなるかも知れない。そうなると、どんなトップメーカーでもどんなヒット商品を持っていても、手も足も出ません。

    そして、どう調べても国産穀物で日本を救えるのは米と大豆しかない。その中でうちは大豆に絞って、大豆を使ったお菓子の開発などを考えています。工場の周辺で大豆生産をしてもらい、全量を買い取って地元コミュニティを作っていけば、将来の食糧危機においても一つの大きな柱に育ってくれるのでは、と。

    竹内: そこまでの将来を見据えていらっしゃるのですね。本日はありがとうございました。

    株式会社エイワの小髙会長とくじらキャピタル竹内代表

    文/企画編集:竹内真二
    撮影:五十嵐真由子
    ※本連載で取り上げる企業様は、くじらキャピタルの投資先ではなく、また出資に関するご相談を受けている先でもありません。
    くじらキャピタル: https://www.quzilla.co.jp

    竹内真二(たけうち・しんじ) 写真
    竹内真二(たけうち・しんじ)
    くじらキャピタル代表取締役社長

    外資系投資銀行、複数回の起業とExit、上場企業のバイアウトなどを経て2018年に「人を幸せにする資本」くじらキャピタルを創業。デジタルx資本で中小企業を元気にすべく、日本中を飛び回っている。1976年、横浜生まれ。

    公開日:2020年2月17日